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勇気をもって、命がけで、雲のように柔軟に変わる

[2021.01.11]

 開業前の一昨年3月のブログ「うつ病は繰り返すのか」で、「同じ人が、同じ場所で、同じことをすれば、同じ結果になる」という当たり前の法則のことを書きました。

 同じ人でも、同じ場所でも、違うことができれば、結果がおのずと変わるはずです。だから、うつ病は治ります。

 このことはどんな病気にも当てはまります。
 もし、今のやり方でうまく行っていと感じているなら違う方法を試さなければなりません。

 しかし、今までずっと、その方法で生き延びてきたのだから、その方法に固執してしまうのも無理はありません。生き延びてきた方法を変えるということは、死にそうな気持にもなるかも知れません。それでも、勇気を出して、違う方法を試してみなければなりません。最初はぎこちなくてもいいのです。

 

 私の父は、警察官僚でした。だから、命令して人に言うことをきかせる人でした。言うことを聞かなければ怒鳴っていました。私が子どもの頃、母はいつも泣きながら台所に立っていました。父が現役で働いていた頃は、経済力もあって、母や子どもに言うことを聞かせることができていましたが、定年後、何年もたつと、母は書道教室を主宰し、私たち子どもも独立し、家族は命令されても言うことを聞かなくなってしまいました。すると、いつものように父は怒鳴るようになりました。それでも言うことを聞かないから、もっと激しく怒鳴るようになりました。父は「俺はこの年で今更変わることなどできない」と怒鳴っていました。より熱心に今までの方法をするようになってしまったのです。

 そうしたら、私たち子どもは、家に寄り付かなくなり、母も家を出て行ってしまいました。とうとう父は一人暮らしになり、たまに母に会うと母に説教し、母の大切な書道教室の妨害をするようになってしまいました。自分の方法がうまくゆかないので世間を恨み、母のせいにしていたのです。そして、とうとう誰も居ない実家で孤独死してしまいました。

 精神科医の家族だからといって、必ずしも、みんなが幸せに暮らしているわけではありません。

 父は、定年後、家族が言うことを聞かなくなった頃に態度を改めて、怒鳴る以外の方法を身に着ければよかったんだと思います。でも、自分のやり方、行動パターンを変える勇気がありませんでした。

 私は中学生の頃には、いや、もっと前から父を恐れて嫌っていました。今、私の高校生の息子は、私を嫌っていることはなさそうです。私は、父の方法を踏襲せずに、学習して独自の方法を身につることができたのでしょうか。

 1月7日は父の誕生日でした。七草がゆの季節になると父を思いだします。父が反面教師になってくれていたのでしょうか。これで、現生での因縁を一つ克服できたのでしょうか。まだまだ、先の長いお話しなのかも知れません。

 勇気をもって、命がけでも、「雲」のように柔軟に、変わっていきたいと思っています。

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