あるがままに受け入れる
「電車に乗ろうとすると苦しくなる」と、当院を受診される方がいます。そういう方に、私は、電車で苦しくなることを、あるがままに受け入れても良いのではありませんか、と提案します。
別の言い方をすると、どうしようもない状況で苦しくなる自分と戦わない、ということです。
例えば、禅宗のお坊さんも、座禅している最中に、鼻や背中がかゆくなることがあります。そして、そのかゆみに意識を集中して、かゆみを何とかしようともぞもぞすると、警策でバチンとたたかれてしまうのだそうです。
修業を積んだお坊さんは、もちろんかゆくなることがありますが、その時に、ただ「かゆい」と思うだけで、それを何とかしようとせずに、そのまま受け入れて、瞑想を続けるのだそうです。
誰でも、満員電車なんか嫌だと思います。でも、どんなに嫌だと思っても、自分の力で何ともできないことは、そのまま受け入れるしかありません。その嫌な気持ちに意識を集中することには、意味がありません。あらゆることに、マジメに取り組まなくてもいいんです。
私は、寝ようとしている時に、背中がかゆくなることがよくあります。だから、枕元に、孫の手を置いています。しかし、あえて、かゆくなっても、ただ「かゆい」と思って、そのままにする練習をします。すると、かえって、いつもより寝入りが良いようです。
どうすることもできない嫌な気持にまじめに取り組まず、戦わずに、そのまま、あるがままに受け入れる練習として、寝入りのかゆみをかかずに、あえてそのままにしてみるのもよいかも知れません。
最近、私は、寝入りに背中がかゆくなるのが楽しみな気さえします。