不要不急?
最近、「不要不急な外出を控える」ことが強制されます。だから、多くの人が、何もせずに家にいるという選択をしてしまいます。
地域の自治会活動、ボランティア活動で活躍していた方々が、この「不要不急」のために活動を自粛して生きがいを失ってしまいます。在宅勤務になって誰とも会話せず、黙々とパソコンに向かっているうちに人とのつながりを失い、死んでしまいたい気持ちになってしまう方もいます。
大切な人と人のつながりを遮断して、不潔なマスクや手袋を何度も使い回すような、この感染防止策は、本当に功を奏しているのでしょうか。
私たちは、感染しないために生きているのではありません。本当に大切なことを大切にしないと生きている意味を見失い、こころを病んでしまいます。
大切なことを見失わないために一つの尺度をご紹介したいと思います。
右の図のように、物事は、重要度と緊急度によって4つの分野に分類することができます。
一般に緊急度が高いものは、例えば電話のように、大きな音などを伴って向こうから迫ってきますので、誰でも自動的に取り組むことになります。
注意しなければならないのは、重要なのに緊急度の低いもの(Ⅱ)です。緊急度が高いけど、重要度の低いもの(Ⅲ)に時間を奪われて、重要なこと(Ⅱ)がないがしろにされてしまい、人生を失敗することがないように気をつけなければなりません。
Ⅱの分野に含まれるものの中には、家族や親せき、友人との時間などがあります。あまり重要ではない急ぎの仕事(Ⅲ)に時間を奪われているうちに、大切な家族との時間を失ってはいけません。このⅡの分野を大切にすることが重要です。妻や子どもには毎日会える、と思って仕事にかまけているうちに、大切な家族を失ってしまうかもしれません。
さらに、以前のブログ「あいまいで無駄かも知れないこと」でも書きましたが、もしかしたらⅣの分野のことでも、ゆとりを生む、大切なことが含まれているかもしれません。
自分の人生を豊かで良いものにするために、何をすることが重要なのか、よく考えてみてください。
地域の人たちとのつながりは、無駄なものなのでしょうか。休みを取って家族と旅行に行き、楽しい思い出をつくらなくても良いのですか。お盆に帰省して、親戚や旧友と会わなくても良いのでしょうか。それらは本当に不要不急ですか。
私たちは、感染しないために生きているのではありません。
令和3年4月27日(注)
感染対策が必要ないと言っているのではありません。感染機会対策を強制するのではなくて、感染経路対策を啓発しなければなりません。例えば、密になっても感染リスクを減らす方法はあるはずです。また、どんなに対策をしても、リスクをゼロにすることはできません。
しかし、IDWRでも書いたとおり、国民は既にかなりしっかりとした感染経路対策をしているとも言えます。